小野不由美『十二国記シリーズ』と『悪霊シリーズ』に共通するテーマ

どーも!アサです!
最近、小野不由美氏の初期の少女小説?であるところの悪霊シリーズが全編リライトの上、復刊されましたね。

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というわけで数年ぶりに主人公麻衣の一人称語りに触れて「ふわー」とか「ぽむ」とかなってたわけですが、何となく、同じく(キャリアからすれば比較的)初期からのシリーズである十二国記の展開とあわせて、気づいた共通点をメモしておきます。

それは、漠然と「ある」とされている事象への徹底的な疑問です。悪霊シリーズでは心霊現象、十二国記シリーズでは神の存在と世の成り立ちについて、とことんまで否定を重ねている作品です。私は、これが各シリーズにおける氏の裏テーマにつながっているような気がしてならないんですよ。

ちなみに裏テーマってのはなんというか、あらためて喧伝されるようなキャッチーなものじゃなくて、作者が作品の内に秘めた商業的じゃない想いっていうか、言わざるテーマっていうかそういうことを指してます。

さて、悪霊シリーズの第一巻では、心霊現象は「なかった」という結論で終わります*1。主人公が属する集団も、サイキック「リサーチ」であり、決して心霊現象を前提としているわけではありません。復刊ではなく、オリジナルの講談社ティーンズ・ハート版のあとがきで作者自ら、「全く信じていません」と語っています。

これが、どーにも文字どおりの意味に受け取れません。主人公のボスであり、中心人物であるナルこと渋谷一也は、徹底的に科学的なアプローチで心霊現象解決の依頼に応じます。これが、ないよね?ないよね?と何度も作品中で確かめている印象を受けるのです。で、続きではいろいろ霊とか出てきてしまうのですが、ここまで科学的に分析して、なんか霊とかいちゃったらもうしょうがないよね?ね?ね?と。

もちろん、科学的に否定に否定を重ねた上で、否定しきれない心霊現象を出して、その説得力を増すという手法とも受け取れます。が、やはり、主人公麻衣の「だっていたほうがロマンがあるじゃん」の台詞にも現れているように、作品からは、いるかもね、いたらいいよね、の印象を受けてしまいます。というわけで、実はこれが裏テーマではないでしょうか。

もう一方、十二国記も、実は同じような試みを持っている気がするんですよ。こっちは、神はいるか否か、を問い続けているシリーズだと思います。(約10年前の)正編最新作『黄昏の岸 曉の天』では、いよいよ核心に触れるところまできました。十二国すべてを司る天帝の直下の位である西王母がでてきて瀕死の泰麒を癒してしまうのです。これに登場人物の1人がブチ切れます。「神なんていると思ってなかった。ああやって実在して、泰麒を癒すことができるなら、世界のこの惨状はなんだ!」と。続きは10年経つのでそろそろ出たらいーなーと思ってますが、未刊でございます。

同じくオリジナルのあとがきにて作者曰く、どう終わるかは決まっているとのことですが、私には『風の谷のナウシカ』が世界の変化と自分の変化に応じて、どうしても最初に想定していたラストで終わらせることができなかった宮崎駿の姿がダブってしまいます。はたして、小野不由美氏にとって20年前と、今の答えは等しいのでしょうか。この刊行ペースの影には、自分が答えを得るまでは作品も完成し得ない型の創作スタイルがあるような気がしてなりません。神は在るか在らざるか、在るならば我々にとって何なのか。

さらにちなむと、十二国記では、既存の家族の概念を否定する実験も行われていたり、また別の小説『屍鬼』では、同じく神の不在が1つのテーマとなっていたりもしますが、それはまた別の話。

で、当『東京マジカルボーイズ』ですが、主上にあやかって、裏テーマを設定したいと思います。私たちが一生かけて探す答えを、少年達にも一緒に探してもらいたい所存です。

さて、だいぶ間が開きましたが、当ブログ、いよいよ再開です。ここしばらくずいぶんと世界や少年達の設定を詰めていました。もうちょっとしたら企画書でもアップしようかなーと思っています。それでは、本年も宜しくお願いします。

*1:超常現象は起きます